2018/01/24:ミニウォーク(第6回)

今回は、藤沢駅から遊行寺、鎌倉八幡宮を目指しました。

 

寒い中、いろいろ寄り道もしましたが歩くこと6時間(約36000歩)掛かって鎌倉八幡宮に到着できました。途中、蠟梅や寒桜も見れ楽しいウォークでした。

 


大慶寺の蠟梅

葛原ケ丘神社の寒桜

鶴岡八幡宮


★多摩市から町田市、鎌倉へのウォーク

 

 集合日時:1月24日(水)9:30 

 集合場所:JR藤沢駅北口(ビックカメラ側)

 コース:藤沢駅~鎌倉駅

ダウンロード
コース地図
W6.pdf
PDFファイル 1.2 MB

コース地図(選択で拡表示)


<コース紹介>

遊行寺:

遊行寺は1325年(正中2年)に創建された時宗の総本山。開山は遊行第四代上の呑海。開基は呑海の兄・俣野五郎景平。正式名称は、「藤澤山無量光院清浄光寺」。「遊行上人のおわす寺」ということから「遊行寺」の名で親しまれてきた。本堂は、関東大震災で崩壊した後、1937年(昭和12年)に落成した東海道随一といわれる木造建築物。

 


①村岡城跡公園:

平良文(村岡五郎)の館跡で、玉縄城防御の"高谷砦"が在ったと伝えられる。鎌倉権五郎景正も住したと伝えられるが定かでない。海軍元師 東郷平八郎の額書による村岡城址の碑。薩州東郷氏は平良文流渋谷を祖とする家柄。

 


 ②泉光院:

 天守山高音寺、真言宗大覚寺派、本尊は阿弥陀三尊像。江戸時代前期寛永16年季等和尚の開山。薬師堂と地蔵堂がある."徳本行者真筆宝号塔"(江戸時代の文化・文政期)や"いぼとり地蔵"、"六地蔵"がある。


③洲崎古戦場の碑:

 ③この周辺は元弘3年(1333年)の新田義貞鎌倉攻めの際、堀ロ満貞・大島守之を将とする10万騎の新田軍は巨福呂坂に向かうべく、事府第の将 赤橋(北条)守時の3万騎と激戦を交えた古戦場。


④泣塔:

塔に刻印された文字から、南北朝時代の文和年間に周辺の住民が戦死者を弔う為に建立されたものと推定されている。戦死者の怨震による怪奇現象の云われが現代にも引きがれる、驚愕の心霊スポットである。


⑤大慶寺:

関東十刹に数えられる名刹。霊照山大慶寺、臨済宗円覚寺派。文永~弘安年間に大休正念(建長寺3世、円覚寺2世)の開山、永井光録の開基で創建。釈迦如来坐像(鎌倉市指定文化財)、寺宝:伝仏源禅師坐像。約700年の柏槙(ビャクンン)の古木や多宝塔の石像も診しい。


⑥御霊神社:

 建久元年(1190年)に梶原景時が平良文流"鎌倉氏の祖/大庭御厨開拓者"
の鎌倉権五郎景政(正)を主祭神とし創建と伝えられ、後に梶原景時を合祀。鎌倉権五郎景政は源義家に従い、16歳で「後三年の役」初陣での豪胆ぶりは、現代の「團十郎歌舞伎十八番"暫"にその名を残す


⑦梶原景時墓碑:

坂東八平氏の一人で、鎌倉幕府有力御家人梶原景時とその子の供養塔。
石橋山の台で敗れた敵の源頼朝最人の窮地を救い、幕府内では頼朝の「一の郎党」と呼ばれた。「げじげじ殿の讒言」や平家追悼の戦いでの義経との確執等多くのエピソードを持つ。

 


⑧葛原ケ丘神社:

後醍醐天皇の側近・日野俊基を祀る神社。明治維新後、南朝 (吉野朝廷)が正統とされ、明治天皇が日野俊基に従三位を贈り、地元有志と全国の崇敬者の協力により明治20年(1887年)に創建。
 


⑨日野俊基の墓 :

鎌倉時代末期の後醍醐天皇の討幕の動き(正中の変、元弘の変)の首謀者として元弘2年(1332年)に葛原岡にて斬首さる。この動きは隠岐から脱出した後醍醐天皇の挙兵により、足利尊氏の六波羅探題攻略と新田義貞の鎌倉攻めで鎌倉幕府終焉の引き金となる。
 


⑩銭洗弁財天:

源頼朝が、巳年の1185年(文治元年)の巳の月 (旧暦4月)巳の日に見た霊夢に従い社を建てて宇賀神を祀ったのが始まり。同じく巳年の1257年(正嘉元年)に、北条時頼(鎌倉幕府5代執権で)がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが銭洗の始まり。


⑪源頼朝公像:

14歳で伊豆・蛭ヶ小島に配流後、雌伏20年で打倒平家の旗印で挙兵し、680年後の王政復古まで続く初の本格的武家政権を樹立。鎌倉幕府初代征夷大将軍。政治的能力、人材掌握力は高く評価され、日本史における組織作りの天才と評される。


⑫化粧坂:

「鎌倉七ロ」といわれる代表的な切め通しの一つ。武蔵方面の出入り口として重要な意味を持ち、新田軍の鎌倉市内侵入をも拒んだ難所の切り通し。


⑬岩船地蔵堂:

⑬源頼朝と源(木曽)義仲対立の和睦の証に、義仲嫡男義高(11歳)は頼朝長女の大姫(6歳)と婚約し鎌倉に移る。義仲敗死で義高も殺害され、悲しみのあまり大姫は病に。その後、20歳という若さでこの世を去り、供養の地蔵堂が建立。木造地蔵尊が安置。


⑭寿福寺:

臨済宗建長寺派の寺院で、鎌倉五山第3位の寺院。山号を亀谷山、寺号は寿福金剛禅寺。本尊は釈迦如来。源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)に、頼朝供養の為政子(開基)が栄西(開山)を招き創建。「寿福寺境内」は1966年(昭和41年)に国の史跡に指定。墓地のやぐらには政子と実朝の五輪塔があり、墓地内には大仏次郎、高浜虚子などの墓もある。


⑮鶴岡八幡宮:

武家源氏、鎌倉武士の守護神、鎌倉八幡宮とも。河内源氏2代目源頼義が、前九年の役の戦勝を祈願し、京都の石清水八幡宮護国寺を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。治承4年(1180年)に頼朝により現在の小林郷北山に移され、その後の社殿の焼失後も再建。江戸時代も幕府の 庇護のもと、多くの堂が創建。

日本三代八幡宮の一つ。