2017/12/06:ミニウォーク(第5回)を実施しました

天気も良く湘南台から藤沢まで歩いてきました。コースで見つけた案内板です。

東泉寺天名門縁起

天王森泉館(旧清水製紙場本館)

天王森泉公園(くわくわ森)


龍長院入口の旧鎌倉街道案内

八坂神社鳥居脇の鎌倉街道西の道案内

次回の鎌倉が見えてきました


<コース>

★多摩市から町田市、鎌倉へのウォーク

今回は、湘南台駅から藤沢駅を目指していきます。

 

 集合日時:12月6日(水)9:30

 集合場所:小田急線 湘南台駅東口改札  

 コース:湘南台駅~藤沢駅

  9:50発立場ターミナル行(系統:湘07)に乗車、

  元木で下車し琴平神社からウォークを開始します。  

 

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<コース詳細

①琴平神社:

天正18年(1590)下飯田の領主筧助兵衛為春により、菩提寺の東泉寺を境川の氾濫から守る為に現在地に移築し、併せて水難守護・治水の神である金毘羅神を鎮守として勧請したのが当社の初め。祭神大物主神、崇徳天皇。江戸期には東泉寺が別当寺。昔から下飯田の金毘羅様として近郷住民の信仰を集め、特に西湘方面の漁師や船員の崇敬を得ている。


 ②東泉寺:

創建年代不詳、安土桃山時代以前の創建と推される。鎌倉の龍宝寺未寺。山号は巨木山、曹同宗で本尊は釈迦牟尼仏。筧助兵衛為春をにより境川沿いから当地に移転。飯田郷領主飯田五郎家義の眼病治癒祈願で創建された薬師堂。山門左下には飯田五郎家義の墓(昭和の建立)と筧助兵衛為春の古い墓石がある。大銀杏は市の名木古木に指定。

 

 

 


③天王森泉公園:

 約3.5haの泉区最大の地区公園で、1998 (平成10)年11月に開園。台地の崖線から湧く豊富な湧水で、かつては蛍が谷戸中を乱舞したとも。泉区内流城には20に上る製糸場が営まれた歴史を持ち、旧清水製糸場本館が「天王森泉館」として現存。帳場や接客の部屋等当時の特徴的な商いの建物である。平成10年1月、横浜市歴史的建造物に認定。

 

 

 


④二階建庚申塔:

 ガス管敷設の際にこの付近の街道にあった庚申塔を集めたもの。「右至長後・厚木、左至 藤沢・戸塚」と刻字されているはずだが、ほとんどその部分は剥がれていて字は見えず。度々車にぶつけられる、心配尽きない庚申塔の様だ。

 

 

 

 


⑤上俣野神社:

 飲明天王社とも呼ばれており、古くより飲明天皇御宇の創建と伝えられるが定かではない。ご祭神はスサノオノミコト、飲明天皇。安政3年社殿を再建、明治6年村社に列格。釣鐘の無い鐘楼があり、明治以前の神仏習合の名残である。

 

 

 

 


⑥俣野観音堂:

桓武平氏平良文の流れを汲む大庭御厨の下司大庭景親の弟で、境川左岸の当地。"俣野郷"の開発領主俣野五郎景久ゆかりのお堂。景久は石橋山の合戦で頼朝愛する佐奈田与ーを討ち、その後に北陸の地で木曽義仲と一戦を交え(篠原の戦い)最後まで平氏に殉じ壮絶な最後を遂げる。死の直前まで持っていた「十一面観音像」は、彼の意志で母の待つ故郷へと移される。

 

 


龍長院

 山号は天王山、曹洞宗。室町中期の延徳年間に相模入道・西林(開基)が堅心して開山、知証大師(円珍)作の不動明王を本尊として真言宗の龍長庵を創建、修験者の活動拠点となる。 江戸初期の慶安元年(1648年)に永井丹波守白元(当地領主:長田白元) が辰岩を中興開山とし、鎌倉市植木の龍宝寺の末寺として曹洞宗に改宗。本尊は釈迦牟尼仏とし龍長院と改め、八坂神社の別当寺であった。大銀杏根元に江戸期の六地蔵、地蔵堂内に俣野五郎景久の石像。

 


⑧八坂神社:

 鎌倉~室町期の鶴岡八轎宮の料所(支給地)となり、祭祀も鶴岡八幡宮が執り行なったことから龍長庵又はそれ以前の時代の創建と推される由緒ある神社。八坂大神、飲明天王社とも呼ばれた。祭神は素護鳴尊(スサノオノミコト)。参道が道路に吸収され、本殿と鳥居が分断。鳥居前では鎌倉街道上ノ道と交差する道があった。六浦や金沢からの海産物を運ぶ道で「金沢道《かな(ね)ざわみち》」とも「塩の道」ともいわれた「商いの道」。

 

 


⑨俣野氏館跡地:

 俣野五郎景久及びその子孫の館跡とされる地で、後に住友財閥の創業者である住友氏の別邸にも。ここから1.5Km程離れたところに時宗総本山の遊行寺(清浄光寺)がある。開祖は俣野氏一族俣野景平の弟呑界和尚であり、俣野氏の威光が消えることなく現代に続く。

 

 

 


⑩柄沢神社:

 御祭神は天照皇大神と孝安天皇。創建年代不詳、"建久四年(1194年)右大将・源頼朝、武州入間川に狩りせし路次当神社に奉斎せしより、鎌倉武士及び領主大久保佐渡守忠保等の崇敬極めて篤く、村民亦氏神と仰ぎ祭事を尽くした"とある。明治元年三月二十八日付、太政官通達により、第六天社を柄沢神社と改称

 

 

 


⑪慈眼寺:

創建は天文年間(1532~50)、開山は韓嶺上人で三代目玉縄城主北条綱
成(つなしげ・つななり)を開基とする。曹洞宗で、秘仏の木造十一面観世音菩薩立像(藤沢市指定重要文化財)を本尊。鋼造の梵鐘(藤沢市指定重要文化財)は寛永6年(1629)の銘を持っ古鐘。珍しい混生樹も見られる。

 

 

 

 


⑫日枝神社:

村岡山王大権現とも云われ、大山咋命と村岡五郎(平良文公)を祀る。村岡五郎良文が天慶年間(877~885年)に村岡村渡内に住むにあたり、宮山に日吉山王大権現を勧請し「山神社」と称して鬼門除けの守護神とした。応永27年(1421年)当地に遷した時に、良文公を合祀。

 

 

 

 


⑬二伝寺:

 浄土宗で鎌倉大本山光明寺の末寺。北条氏時により創建され幾
多の歴史を刻む名刹。本尊の木造聖観音坐像は藤沢市重要文化財。小高い地形のこの地には、すぐ近くの玉縄城の鎌倉方面の防御のための二伝寺砦があった。裏山には鎌倉幕府を支えた有力御家人。"坂東八平氏"祖と云われる桓武平氏平良文と忠光、忠通の三代が眠る塚がある。