2017/07/10:ミニウォーク(第4回)

★多摩市から町田市、鎌倉へのウォーク

今回は、瀬谷駅から富士塚城址公園を目指していきます。

 

 集合日時:7月10日(月)10:00 

 集合場所:相模鉄道 瀬谷駅改札口

 コース:瀬谷駅~ゆめが丘駅

 

 ※荒天・地震・事件・事故や参加者の安全が確保できない

  可能性のある場合は、中止・延期することがあります。
  中止・延期する場合は、前日の20:00までにホームページにて

  ご案内します。

 

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①西福寺:

山号は猿王山、真言宗豊派、本尊は不動明王。室町時代後期の天文3年(1534年)創建と推定され、鎌倉武士流れを引く青木氏が開祖、長栄が開山とされる。本堂は、西方極楽浄土、真西に建つ。見事な宝篋印塔や「千年椎」と呼ばれる樹齢800年の椎の木がある。瀬谷八福神の布袋尊、仏足石、六地蔵がある。

 


 ②左馬社:

 祭神は左馬頭、源義朝。現存する1 1社の古くから伝わる”相模七サバ参り”で有名なサバ神社のうち最北端にある”橋戸の左馬社”。河川氾濫、争乱、修験者の活動、源義朝の行の濫行などを経て、怨霊から御霊へと、信仰は村人の願いと結びつき生まれた独特の地方信仰神社である。市無形民裕文化財”橋戸ばやし”も地元に定着している。

 


③宗川寺:

 山号は白東山で日連宗、本尊は十界曼荼羅、信心篤き石川宗川が開祖となり、日賢上人が竟永2年(1625)に開山。寺宝は元寇退散析願の”鋼製祈願額”境内墓地には地元教育の祖 山名氏の墓もある。山門のそばに市指定の夫婦銀杏の大木が見える。八福神の福禄寿。天正6年(1578)に山門近くの中原街道沿いに”問屋場”が設置され、この辺りは交通の要地であった。

 


④全通院 勢至堂:

曹洞宗、本尊は勢至菩薩。江戸初期の寛永(1624)、下瀬谷の仙田氏一族の菩提を弔うために阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀堂を建立。その後”伝説の中丸左源太の勢至菩薩”阿弥陀堂の本尊として祀られる。現在のお堂は寬政9年(1797)建立。本尊の勢至菩薩に向かって右に寿老人(瀬谷八福神)、左に阿弥陀如来が座す。市指定の名木の大フジ(樹齢300年)があり、咲いた花と請れた富士の雄姿が絶妙の取り合わせ。

 


⑤本興寺:

日蓮宗、法華山、日什派別格本山(由緒寺院)、本尊は (仏) 多宝如来と釈迦如来、 (法)絵曼荼羅、(僧)日蓮上人像。延元元年 (1336) 、鎌倉に天目上人が休息山、本興寺を建立し”辻の本興寺”と呼ばれる。慶長13年(1608)の「慶長の法難」をきっかけに、万治3年(1660)に日顕上人が鎌倉の本興寺の寺基を”当地に移す。本堂内の欄間の彫刻は釈迦の降誕から涅槃、日蓮や日什の一代記を描いた絵物語。寺宝の”絹本著色法華宝塔曼荼羅”は市指定有形文化財。

 


⑥飯田神社:

 鎌倉初期に、この地の地頭・飯田五郎家義が創建。飯田明神社、鯖明神とも。左馬頭・源義朝を主神にウカノミタマノオオカミ、オオヤマクイノカミの3柱を祀る。”安政12年(1800)京都・北野天満別当式部権大輔・菅原長親「神額」寄贈”や“文化13年(1816)神祇管領 占部朝臣良長が「幣帛」献上”とあることから、在時は村に有力者がいたことが伺える。上飯田を代表する神社である。


⑦無量寺:

帰命山、長寿院と呼ばれ、本尊を阿弥陀如来とする浄土宗寺院。善如の開山。寺伝によれば木村左門の開基とある。大山街道と鎌倉古道が交差する交通の要所であった。遠く下総や上総からの人々も通り、行き倒れも多く「道者の墓」と呼ばれる墓があったという。ー遍上人直筆の“名号碑”や文禄期の”板碑” がある。寺の境内には高さ20メートルの銀杏の古木が立つ。

 


⑧美濃ロ家:

享保18年生まれ(1733 )の江戸期相模を代表する郷上の俳人「美濃口春鴻」の生家。芭蕉の正風俳句の流れをくむ、苦境の大磯「鴫立庵(しぎたつあん) :日本三代俳諧道場の一つ」の再興に大きな功績を残す。代表作に「人もかく老いて秋たっ眉毛かな」。美濃ロ家は代々名主を務め、明治雄新後に村長をも務めた家柄。本興寺の鎌倉からの寺基移転時の大旦那で、同じく鎌倉から移住してきたと云われる。

 


⑨左馬神社(下飯田神社) :

左馬頭・源義朝がご祭神で、創建は飯田五郎家義 (地頭)とも、川上藤兵衛(北条氏領主)ともいわれ、天正18年(1590)筧助兵衛為春が社殿の修復を行った。堅牢地神塔などが存在する。境内林は明治以来、神奈川県の風致保安林に指定され、市名木古木指定の銀古がある。昔は鎌倉古道から入る参道であったが、農道整備で参道が分断された。

 


⑩富士塚城址公園:


飯田五郎家義は平安未期 飯田郷領主で治承4年(1180) の源頼朝挙兵時、石橋山の合戦で頼朝の苦境を救った命の思人。富十川の戦いでも伊藤武者次郎の首を討取るなどの武者振りで、頼朝から「本朝無双の勇士なり」と賞賛され飯田の地頭職を授かる。近くの富士塚団造成時に館跡と思しき遺構が見つかり家義の館跡と推定されている。鎌倉街道沿いに家義の供養として供養塔として石碑を建立し富士塚城址公園とした。



-ミニウォークの様子:2017.07.10ー

参加された皆さん (+撮影の中田さん)

日蓮宗の本山(由緒寺院)で、日什門流八別格本山のひとつとの事で、山門・仁王門・鐘楼・本堂どれもさすがに立派です